太宰治のこの有名な作品を題材に取り上げるとき、留意したのは、
- 語り芸花舞台で前後各お1人の出演のなかである程度の派手さが必要と思われること。
- あめんぼ座に期待される群読を効果的に使うこと。
- 太宰の名は知らなくても「走れメロス」は知っている層が多い中で単なる活劇に終わらせないこと。
などでした。特に3については、メロスという人騒がせな男よりも、セリヌンティウスの側からの視点を入れたいと思っていましたので、檀一雄の文章を見つけたのはラッキーだったし、西垣の本領も発揮できたと思っています。「大人のメロス」に仕上がった、と何人かのご批評を頂いたこともうれしいことでした。また暴君ディオニスを単なる悪人に描くと底の浅いストーリーになるし、メロスの魂の危機を強調することで後半の疾走する迫力を浮き上がらせたいと思ったのですが、いかがだったでしょうか? 拙い演出に我慢づよくつきあってくれたあめんぼ座の仲間に感謝!